holly1958’s diary

小説の感想とか。読む本がなくなったらどうぞ。

探偵小説の文学性-冬のオペラを読んで-

軽い気持ちで読み始めたのだが、僕の中で非常にしっくりくる小説だったので感想を書きたい。

 

叔父に雇われ不動産屋で働く19歳のわたし・姫宮あゆみは、勤め先の二階に越してきた名探偵・巫弓彦に自分を彼の記録者にしてくれないかと申し出る、というのが物語の始まりである。

まずこの巫弓彦という人物がかなりの変人(大抵の名探偵はそうであるが)で、一度も事件を解決したことがないのに名探偵を自称している、もちろん仕事はないのでフリーアルバイターのような生活を送っているといった変わりようだ。

こんな変人に、出会い頭、ワトソン役にしてくれと頼むヒロイン・姫宮あゆみもよっぽどの変わり者だが、素直な性格で巫を深く敬愛する愛すべきヒロインである。

探偵小説の肝は、トリック、読者にとってフェアであるか、推理の披露の鮮やかさ、納得できる動機があるか、にあると僕は思っている。特に動機の扱い方は非常に難しく、動機を上手く物語に落とし込める作家は一流だと思う。あまりいうとネタバレになるかもしれないが、今回の小説では動機とトリックがかっちりと結びついているところなど、ミステリとしてもレベルが高い。

なんといっても幕引きの美しさ!この感動はやはり殺人というテーマを扱うミステリならではのものだろう。

 

幼い頃、名探偵に憧れたミステリ好きにこそ読んで欲しい作品です。

リトル・シスター(かわいい女)を読んで

 うーむ、というのが読後すぐの感想である。訳者あとがきで、村上春樹氏が述べていたように、ミステリ小説としてはプロットに穴がありすぎるように思える。(あえてここで述べるようなことはしないが)

物語は二度三度とその様相を変えるので、驚きはあるものの、あまりに突飛な展開であるため、同にも腑に落ちないところがあり、ミステリにとって肝である、誰がどんな理由で殺人を犯したのかという部分がどうも曖昧になっている。

ここまで書くとこの本がまるで悪書であるかのような印象を持たれると思うが、そんなことは一切なく、ここからはその点について書きたいと思う。

 

リトル・シスターの魅力

 

それは正しい方向への一歩だった。でも踏み出し方が足りなかった。私はドアをロックし、机の下に隠れるべきだったのだ。

引用元:リトル・シスター:村上春樹

 

簡潔に言えば、ジョークとシニカルな会話が効いたいわゆるチャンドラー節と、人間味溢れる登場人物たちであろう。

 

少しばかり話は変わるが、リトル・シスターにはかわいい女という邦題がつけられていることで、リトル・シスター(つまり妹)イコールかわいい女というイメージが、読む前の読者に植えつけられているところが非常に面白いと思う。

 

訳者あとがきによるところだと、どうやらチャンドラー自身はこの小説を嫌っているようである。何やら執筆環境が良いとは言えなかったらしく、その時の陰鬱な気分が作品に反映してしまっているそうな。(おそらく読むと、随所にそれが感じられる。)

しかしそれが一層、マーロウのシニカルさに磨きをかけていることは、この小説の魅力の一つであると思う。

また物語のキーパーソンとも言えるオファメイについても語らなければいけない。彼女はあまりにも人間的すぎる。化粧っ気がなく、地味な縁なしメガネをかけたいわゆる田舎者の彼女の存在が、冷たく排他的な都会との対比としてでなく、むしろ暗色として物語に深みを持たせることへのこの情緒!小悪魔系な彼女が大好きです。

 

では長いお別れにならないことを

Remember of the レイ・ブラッドベリ

 

レイ・ブラッドベリという世界観

 

ブラッドベリについて書こう!と思ってから数日が経ったが、どうしてももう一度読み返す気がしない。面白くないとか、アホほど長いとかそんなことは全然なくて、むしろ彼の短編は魅力に溢れている。うまく言えないが、僕の中でレイ・ブラッドベリが大きくなりすぎているというのが原因だと思われる。当時と今とでは、きっと見え方が違うだろうから、中学時代の神域を汚したくないとかそんな気持ち。

ブラッドベリは中学時代の僕の宗教(貴志祐介や、御手洗潔もこの部類、いずれ書くかも)だ。タイムスリップ、ディストピア、火星人、地球滅亡!これぞSF、という題材と詩的な散文の融合。彼には結構イかれてたと思ったが、ブログを書くために、本棚見たら冊数はそうなくて驚いた。

 

ブラッドベリの始め方

 

読書指南はあんまり好きではないが、少しばかり書かせていただく。

まずは華氏451度。ディストピア小説好きなら読んだことがあったり、聞いたことがあるのでは?もっとも有名な一冊。

 

ジッパーがボタンに代わり、おかげで人間は服を着るあいだ、ものを考えるたったそれだけの時間もなくしてしまった。

哲学的なひととき、いうなれば憂いのひとときを

引用元:華氏451度:レイ・ブラッドベリ:伊藤典夫

 

小説は有害であるとされ、ほとんどが焼却の対象となった。本を焼く職についている主人公のモンターグは、風変わりな少女、クラリスに会い、少しずつ変わっていく...。

書物のない世界、あらゆる無駄が削ぎ落とされた世界、そんな無機質な世界を鮮やかに飾るのは、炎と詩的な散文だ。

 

ハマってくれたら次は火星年代記を進めたい。火星での事件が時系列中に並んでいる連作短編小説。これまた有名。SF小説が好きならこちらからはいってもいい。SF小説としても充分満足いく本であることは保証するが、それとは別の切ない余韻を残してくれること間違いなし。出来るだけ事前情報は入れずに読んでほしい。

 

そして、その浮遊感が消え去らないうちに、彼の惹かれるタイトルの短編小説集を買う。おすすめは太陽の黄金の林檎。霧笛から始まり、歩行者、鉢の底の果実、人殺し、表題作太陽の黄金の林檎などなど数々の名作が収録されている。

中でも好きなのがぬいとりである。

 

「いま何時」
「五時十分前」
「じゃ、もうここらで切りをつけて、晩ごはんの豆の鞘をむかなきゃ」
「でも――」と一人が言った。
「ああ、そうそう、忘れていたわ。私って馬鹿ね……」

引用元:太陽の黄金の林檎:レイ・ブラッドベリ:小笠原豊樹

 

ああ、この会話の魅力に触れたいが、ネタバレになってしまうのがすごくもどかしい!なぜこんな日常的な会話を、そこまで取り上げるのか気になった方は是非読んでみてくれ。

 

 

いつまでも心に残る名作

好みはあるにしろ、彼の小説はいつまでも残り続ける。厨二病患者には100パーセントの確率で刺さるであろう。レイ・ブラッドベリとともに少年時代を思い出す、素敵ではないか。

『ティファニーで朝食を』ホリー・ゴライトリーの蠱惑的な世界

 

ツイッター初投稿&はてなブログ開設。

 

しかし難しいねツイッターはてなブログも。一向に使いこなせる気がしない。現代っ子はどちらも完璧に使いこなすのだから、皆、偉大なるシステムエンジニアの卵なのだと思う。

 

ティファニーで朝食を』について

 

記念すべき最初のブログなので僕の大好きなカポーティの『ティファニーで朝食を』からホリー・ゴライトリーについて少し書きたい。

ティファニーで朝食を』は村上春樹が翻訳したことでも有名で、僕が読んだのも彼の翻訳である。(いつか、ティファニーで朝食を、を原文で読むことが目標、他の方の翻訳も読むべきだろうか)

どんな小説かというと、小説家志望の主人公『僕』の部屋の扉を女優の卵であるホリーが叩くところから、二人の別れまでを書く青春小説(僕の主観によると)だと言える。ある日突然、ヒロインが主人公の部屋の扉を叩くというとNHKへようこそ!を思い出すね。中原岬ちゃんも好きです。

 

『ホリー・ゴライトリーの蠱惑的な世界』

 

この小説を読んだものは、ホリーに魔法をかけられる。胸中に一石投じられたように、ざわざわと波紋が広がり恋に似た感情を抱かせる。

僕の拙い文章力では語れば語るほど、安っぽいギャルゲヒロインみたいになってしまいそうで怖いので、まずは引用から

 

「不正直な心を持つくらいなら、癌を抱え込んだ方がまだましよ。癌はあなたを殺すかもしれないけど、もう一方のやつはあなたを間違いなく殺すのよ。」

引用元:新潮社出版:ティファニーで朝食を:村上春樹

 

とにかく彼女は強い。最強だ。色んな男を連れ回した挙句、洗面所へ行く女の子にチップ料として、たった二十セントを握らすな!とこっぴどく振る。取り巻きの男の名前すらまともに覚えていない。

しかし彼女はまた弱い。男の強さとか世間からの反感なんてものはもろともせずに跳ね返してしまうが、大切な人を亡くした時のナイフのような辛さにはどこまでも弱い。強さと弱さは両極端ではなくて、お互い混じり合いはしないものの、どこまでも密接な関係にあるんだと思う。

上記のセリフにしても、負けん気溢れる台詞でありながらも、どこか彼女の不安定さを感じさせる。

物語が進むにつれ、ホリーの暗い過去が明かされる。彼女は突飛な性格の持ち主で、職業も女優と、僕たちにしてみれば明らかにショーウィンドウの向こう側の世界の人物に違いない。

しかしこの暗い過去や、不安定さが彼女の人間らしさに影を持たせ、一層魅力的な女性を描くとともに、彼女のいわば秘密を我々にちらりと見せたことで、ストーカーがストーキング相手に持つような親近感(この例えはあまりにもか...?)を抱かせている。

また外せないのは『僕』の存在だ。『僕』はまるで自分のようだと読むたび思う。『僕』とホリーの距離が縮まるほど僕とホリーの距離も縮まっていくように感じる。クリスマスプレゼントを交換しあったり、一緒に万引きしたり(共犯関係!素敵な響きだ。)時には喧嘩をしたり、そして『僕』はホリーに恋をしていることに気づく。でもそれは恋愛ではなくて、黒人のおばさんや、郵便配達員への恋と同じ種類のものであると説明する。

そこで僕達も、気づく。胸中に投げ込まれた石の正体にだ。これぞホリー・ゴライトリーの蠱惑!

 

以前暮らしていた場所のことを、何かにつけふと思い出す。

 

この本を読んで気に入ってくれたのなら、同作者の草の竪琴も読んでみて欲しい。

ここまで読んでいただいてくれた読者は、ほとんどいないだろうが、ありがとうと言いたい。

感想お待ちしています。